女性でも簡単に作ることのできる食事が工夫れた背景

しっかり働くためにしっかり食べる

この時代の食生活革命は砂糖の摂取だった

17世紀の江戸で、職人たちが長時間働けた(働かされた)のは米のおかげだったのですが、19世紀のヨーロッパでは、砂糖が労働者を働かせる魔法の妙薬でした。

18世紀中ごろから19世紀の初め、イギリスでは一連の囲い込み法により、多くの農民が土地を追い出され、働く場を求めて都市に移り住みました。

それまでのイギリスの工業は、家族単位で行なう小規模の家内制手工業でしたが、このころから大きな工場が出現し、多数の労働者を集めて大量の工業製品を作るようになりました。そすたの結果、家内制手工業は廃れ、新たな都市住民となった元農民たちは、工場で働いて賃金を得て生活するようになりました。

当時の一般的な労働者家庭では、妻や子どもも工場で働いていたため(子どもは5歳ごろから工場で働いた)、それまでのように「主婦が家庭で伝統的な食事を作る」ことは困難になりました。

そこで、工場の労働で疲れ果てた女性でも簡単に作ることのできる食事が工夫され、普及することになります。いわば「食生活革命」だが、この「新しい食生活」の中心になったのが「砂糖」だったのです。当時、ヨーロッパにおける砂糖の消費量は年々増加し、とくにイギリスの食生活は「砂糖漬け」同然でした。

工場での長時間労働(通常、朝6時から夜7時までの労働)で疲れ切った女性たちは、それから家族のための料理を作ることになります。当然、簡単に作ることができてお腹がふくれるものがいい。それが、「砂糖たっぷりの紅茶、ジャム、果物の砂糖煮、冷肉」という食事だったのです。

かでも中心となったのは、砂糖入りの紅茶でしたが、ほかにも当時のレシピには、見ただけで胸焼けがするほど大量の砂糖を使った料理が記録に残されています。

そして工場労働者もまた、砂糖過剰な食事を歓迎したのです。なぜなら、砂糖は長らく王侯貴族や上流階級にのみ許された「王の味」だったからです。労働者たちは、「砂糖たっぷりの紅茶が飲める」=「ブルジョワの一員」と考え、砂糖たっぷりの食事に満足していたのです。

この砂糖漬け生活は、カリブ海の西インド諸島で生産された砂糖が、大量にヨーロッパに輸入されて価格が下落し、それまで上流階級の独占物だったのが一気に下流階層に広まったことで実現しました。西インド諸島で、サトウキビの大規模プランテーションが始まったからです。この大規模プランテーションは、西アフリカから奴隷船に動物のように積み込まれて連れて来られた黒人奴隷の強制労働で維持されていました。

これが、ヨーロッパ、西アフリカ、西インド諸島をつなぐ、悪名高い三角貿易で、三角貿易はヨーロッパに莫大な富をもたらし、後に産業革命の原動力となったのです。ちなみに、サトウキビは、史上最悪の環境破壊型作物といわれています。成長のために大量の水が必要で、土壌中の栄養分を消費し尽くすからです。

また、栽培に過酷な労働を要求する植物でもありました。つまり、サトウキビの大量栽培による砂糖生産は、奴隷労働と環境破壊がなければ成立しなかったということです。

西インド諸島のプランテーションで、黒人奴隷の血と汗で作られた大量の粗糖は、イギリむくスに運ばれ、精製されて純白無垢な砂糖に生まれ変わり、ヨーロッパ中の食卓にも登場しました。砂糖はその自さで奴隷労働の悲惨な現状を覆い隠し、甘さで人間を魅了したのです。ヨーロッパ人たちにとっては、砂糖生産現場はあまりに遠く、それがどのようにして作られているのかまで考える余裕もなく、工場で働き続けました。

生産地と消費地の距離が離れれば離れるほど、消費者は生産者のことを考えなくなり、生産の現場で何が行なわれているのかに無頓着になります。その究極の姿が「食のグローバル化」であり、「食糧生産のブラックボックス化」です。その発端はこの時代だったのです。

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