1日2食と3食の違い

糖質主体の食事の場合3食

労働のための食か、食のための労働かは人それぞれ

江戸復興のために、幕府は大勢の大工・職人たちを集めたが、集めて働かせるためには十分量の食事を提供する必要が生じました。「腹が減っては戦ができぬ」はこのあたりからでしょうか。

だから、この時期の江戸市中に、米という長期保存可能な食材が大量に出回っていたことは、幕府にとって好都合だったはずです。おそらく、米なしには明暦の大火からの江戸の復興にはもっと時間がかかったかもしれません。

幕府は当初、従来の習慣どおりに、食事の回数は2回、つまり「1日2回の米の飯」を提供したはずです(当時は食事といえば1日2回が常識だったから当然である)。ところが、その直後から、「1日2回の飯では腹が減って働けない。昼にも米の飯を食わせろ」という不満の声が上がったのでしょう。何しろ、米の飯は摂取後数時間後で確実に腹が減る「腹持ちがしない」食材だからです。米の飯は長時間労働にもっとも不向きな食材とえるでしょう。となると当然、食事回数を増やして1 日3回にするしかありません。つまり、米の飯をメインに食べる生活になると、必然的に1日3食に切り替えるしかないのです。

そして、その延長線上に、現在の私たちの「朝食、10時のおやつ、昼食、3時のおやつ、夕食、夜食」という、1日6回も糖質摂取をする食習慣があるのです。穀物や糖質は一時的に空腹感を抑えてくれるが、その効果は数時間で消えて空腹感が襲ってくるからです。糖質制限食なら1日2食で充分なのに、糖質主体の食事にすると、1日3~6回食べないと空腹に襲われるのです。

これを、江戸に集められた大工や職人の側から見るとどうなるでしょうか。

客観的に見れば、村にいたころの「米を収穫するための長時間の労働」が、江戸では「米を買う金を得るための長時間の労働」に置き換わっただけです。違いは米が食えない生活から食える生活になったことです。もちろん、村では食べることすらかなわなかった「夢にまで見た米」を、1日3回、しかも腹一杯食べられるだけで幸せだったはずです。

しかし、米の飯を食べる喜びに浸るためには、長時間の労働をせざるをえず、しかも米の飯を食べて得られる満腹感は長続きしない。これは見方を変えれば「米の飯の奴隷」「米の飯に支配された人生」ではないでしょうか。

私たちは食べるために働いているのだろうか、それとも働くために食べるのだろうか。もちろん、「食うために働き、働くために食う。これはコインの表裏であり、分けて考えるほうがおかしい」という答えが普通でしょう。

だが、こういう意識が生まれたのは、穀物が主食になってからと考えられています。狩猟採集時代の生活において、労働の占める割合は非常に小さく、子どもでも簡単に食材が集められたことがわかっているからです。人類が食うために労働するようになるのは、じつは農耕が始まってからです。

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